花鳥風月

静かに目を覚まし隣の熱に微笑むのは何度目だろうか。
何度か注意され、せめてと着て寝るようになったシャツにはまだ慣れない。これならまだ浴衣の方が楽だ。

―――起きたら皆本に断るか。

せっかくだからシルクのシャツを買ってこさせたが、やはり要らない。
彼が選んでくれたものなら少しぐらい愛着を持てると思ったのは気のせいだったようだ。

まだ陽の差していない部屋の中、ふと起き上がりベッドから抜け出すと左足を引き摺り浴室へ向かう。
脱いだシャツを脱衣カゴに放り込みシャワーの栓を捻る。すぐに湯が出ない事に苛つくが、寝汗を流すに丁度良い温度だった。
いくつもの傷跡の上を滑って湯はすぐに足下に水たまりを作り、流れて行く。
その傷は古い物もあれば新しい物もあり、左足首はまだ包帯を巻いているような状態だ。

―――忘れてた。

また煩く文句を言うだろうな、と苦く笑い彼はその包帯を解く。

「兵部?」

風呂場のドアのガラス越し。現れた影に気がつき振り返る。

「おはよう。起こしてしまったかい?」
「いや…まぁそうかな」

一度は否定したものの、隣に兵部が居ない事に気がつき身を起こした皆本は探して部屋を出て、シャワーの音に誘われるようにやってきた。
言わなくてもすぐに彼に知られてしまうのだ。隠すこともなく素直に答える。

「お前、また濡らしたな?」

目敏く足首の包帯を見つけた皆本が怪訝な表情で兵部を見た。

「忘れてたんだよ。後で巻き直してくれるだろ?」
「……ああ」

当然のように言う兵部の台詞に半ば呆れも含めた返事をして、皆本はリビングに向かった。
勿論彼の為の新しいタオルを出してから。

普通人とエスパーの戦争が終わり人々の混乱は続いていたが、彼等にとっては穏やかな日々が続いた。だがそれは全て皆本の犠牲の元で成り立っていた。
しかしそれは兵部に頼まれた訳でもなく、皆本に何かしらの責任があったわけでもない。
純粋に皆本自身が選んだ事だった。

変わった未来で薫を撃つことも無く、何度も夢に見た光景を後にした皆本はパンドラにもバベルにもある嘘を吐いた。

――――兵部京介は死亡した、と。

誰も信用しなくても良い。
だが皆本がそう真剣な面持ちで伝えた事に誰も異論は唱えようとしなかった。

何も要らない。だから彼を助けて。
目の前で左足から血を流し倒れていた兵部を見た瞬間、そう神に願った。
彼が生きてさえいてくれれば何も要らないと願い、抱き上げ自分のマンションに連れ帰りバベルを辞めた。

幸い混乱した世の中、バベルもパンドラも事態の収束に奔走しているのだろうか皆本の家に尋ねて来ないで今に至る。
意外に頼りにされていなかったのかもしれないと考えれば、寂しくも思ったが今は感謝に値する。

「もう少しきつく」
「血流が止まるだろ?」

ソファにゆったりと身体を預け投げ出した足に包帯を巻いて貰っているのに、不機嫌に兵部は文句を言う。だが、それも慣れた事だ。
子供の我儘に付き合うみたいに皆本は聞き流す。
兵部と出会った頃、確かに自分は幼かったが、今は三十路も越えそれなりに成長をした。彼にからかわれるのさえ慣れてきた。
適当にあしらえるようになった今は、『可愛くない』と言われる始末だが、それは兵部なりに認めてくれた言葉だとさえ受け取れる。

「ほら、終わったぞ」
「ん。ありがとう」

礼の言葉と共に降ってきた口づけに皆本は嬉しそうに笑った。

「朝ご飯、どうする?」

まだ夜明けも迎えていないが、そろそろ陽は昇る。朝食の準備をするのなら今からやっていても早過ぎる事はない。
尋ねながら立ち上がった皆本の首筋に兵部の手が添えられる。

「まだ要らない」
「そうか」
「もう一眠りしてからでも遅くないだろ?」

ふ、と笑った兵部に真意を知った。

「…そうだな」

急くことも無いのに彼等は今までの時間を埋めるように身体を求め合う。
シャワーの後の乾かしていない彼の髪が肌に触れ、冷たいと文句を言った口は強引に塞がれた。

まだ暗い部屋の中で組み敷かれながら、皆本はそこに彼の存在があることを確かめる為、背中に腕を回した。

 

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