黒猫

黒猫のワルツ

シトシトと降る雨は、夜の闇で黒いアスファルトを濡らしていた。
一人、また一人と傘を差して駅から帰路を急いでいる。

黒いスーツに身を包んだその男もまた、黒い傘を差して自分のマンションへと向かっていた。
その途中の軒先で、ふと見つけた困り顔の青年。
学生なのかパーカーにジーンズといったラフな格好で、諦めた様に腕に抱えている小さな黒猫。
傘を持っていない様子の彼は、困惑したまま止まない雨を降らす黒い雲を見上げていた。

黒いスーツの男がため息をつく。
別に放っておいてもいいはずなのに、何故か気になって傘を畳んで同じ軒先へと入った。
猫を抱いたままの青年が不思議そうにそちらへ目を向ける。

「傘は無いのか?」

優しく問いかけた低音が青年の微笑みを誘った。

「ええ。帰り道でこいつと遊んでたら降られちゃいまして。…なぁ?」

苦笑した彼が腕に抱きかかえた猫を男に見せる。
返事をする様にニャアと鳴いたその猫に、男はくすっと笑って喉元へ手を伸ばした。
撫で付けられた指に反応して、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らす。

「ノラ猫か…」

遊んでいる指先に、飼い猫ならあるはずの首輪を見つけられず男が苦笑した。
「ええ」と一言だけ青年は答えると、撫で付けている指を強欲に欲して身を乗り出した猫を抱きなおした。

「でも、最近懐いてくれるようになったんですよ?」
「飼えばいいじゃないか」

至極当然な答え。見ている限り猫だけでなく、生き物全般が好きそうな優男。
きっと飼われた方も幸せになれそうなくらい大事そうに抱えているその様。

「無理なんですよ。僕、寮生活なんで」

本当は飼いたい…という気持ちを滲ませながら彼が笑う。
その微笑に呼応して、スーツの男が猫の頭に手をやって優しく撫でる。
中途半端な愛情は時に残酷だぞ?
言おうとした男は黒猫のクリッとした大きな瞳と目が合った。

「あ、あのっ!」

急に出された声に男が驚いて、声を発した彼の瞳に目を移した。

「猫…好きなんですか?」
「まぁ、嫌いではないが?」

向けてきた青年の瞳が、腕に抱かれている猫の瞳と同じ純粋なもので少し微笑んだ。
その表情に真剣な眼差しを向けていた彼がふっと表情を緩ませる。

「じゃあ! 飼って貰えませんか?この仔、親とはぐれちゃって…ずっと僕、見てたんですけど…」

黒猫の事情を説明していた彼の、言葉尻が弱々しくすぼんでゆく。
初めて会った人物に急なお願いをしてしまったと気が付いて、青年が頬を赤らめ俯いた。

「あんまり人に懐いてるところ、見たことなかったから…」

あははと誤魔化すように笑って上げた顔は最初に見た困った顔。
男は軽くため息をつくと、黒猫に置いていた手を彼の頭に置いた。

「いいぞ?私は今一人暮らしだからな」

それに…あの方が帰ってくるまでは、暇を持て余す事も多い。
同居人として連れて帰るのも…寂しくなくて良いかもしれないな。

ふふっと笑った男に、青年が晴れやかな笑顔になった。

「あ! ありがとうございますっ!」

猫を抱いたまま彼が頭を一生懸命下げた。
彼が実直な性格だという事が分かるくらい、深々とした礼に「頭を上げろ」と咳払いをした。

「とりあえず連れて帰るが…その…お前は寂しくないのか?」

懐くまで遊んでいたということは、かなりの時間を要していたのだろう。
それが人の手に渡っていくのは寂しい筈。
考えて言った台詞に青年は眉を下げて笑った。

「少し寂しいですけど…この仔が幸せならそれで良いんです」

腕の中の猫を差し出した彼が笑顔のままでそう言った。
緩められた手から男の腕に渡ると、猫は嬉しそうにスリスリとスーツへ顔をなすり付ける。

「幸せになるかなんてわからないだろう?」
「その仕草を見たら、幸せになれそうな気がします」

気持ちよさそうに腕に抱かれている猫を指しながら彼が言った。
にっこり笑った彼に少し照れながら、男はふと頭をよぎった意見を口にした。

「偶に見に来ればいい」
「えっ! でも…」
「一人暮らしだと言っただろう?別に気を遣う相手もいない」

静かに笑顔を湛えて、腕の中の黒猫を優しく撫で付ける男。

「良いんですか!?」

嬉しい気持ちを全体で表現するように少し前のめりになりながら顔を思いっきり綻ばせる青年。
ちらりと男がそんな彼を見てもう一度ふふっと笑った。
くるくると表情を変える彼。
猫を引き受けるのを口実に、もう一つ可愛いオマケが付いてきた。

「僕、皆本光一って言います」
「私は真木だ。真木司郎」

あれだけ言葉を交わしていたのに、自己紹介が遅くなったと二人が笑った。

 

黒猫を抱いた黒いスーツの男は、皆本と名乗った青年を自分の黒い傘に入れてやった。
次の日曜日に遊びに来るといった彼は、特別教育プログラムの寮へと入っていった。

歳の割に落ち着いた子だとは思ったが…そうか。

一人納得した様に呟くと、自分のマンションへの帰路を急ぐ。
ニャアと鳴いてきた黒猫に視線を落とすと、彼が来るまでにコイツの名前を考えておこうと真木は微笑んだ。

 

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