黒猫

黒猫のカノン

そろそろクロのご飯も切れてきたか。
引き取った時に買ってきていた物と皆本が遊びに来た時に持ってきた物を合わせても、もう数個しか残っていない缶詰を見て真木が溜息をついた。

外を見ると今日は晴れやかな良い天気。
クロもこの家に来て随分経つ。一人で…いや、一匹で留守番させておいてても大丈夫だろう。
最近落ち着いてきたクロの様子を思い描いた真木が、すっかりクロ専用になってしまった小皿に缶詰の中身を移してやる。

ニャア!

ソファの横で一人遊びをしていたクロが缶詰の音に反応してちたちたと寄ってきた。
いつも食べている場所までやってくると、お座りの姿勢で真木を見上げる。

「よしよし。ちょっと買い物に行ってくるから、おとなしくしておくんだぞ?」

ちょこんと座っているクロの頭を優しく撫でて真木が用意した小皿をクロの目の前に置いた。
通じているワケはないのだが、おとなしくご飯を食べているクロを見て真木がエプロンを椅子へかけた。
肌寒い季節も過ぎ、薄手のシャツでも十分と判断した彼は、ポケットに財布が入っている事を確認して部屋を出て行った。

 

平日の昼間。すれ違うのは主婦や学生ばかりで、真木の様な成人男性がふらりとは歩いていなかった。
そんな中、手に鞄も持たず手持ち無沙汰でポケットに手を突っ込み、背中を丸める事なく彼は颯爽と歩く。
見目は悪くなく、何処か一般人とは違う雰囲気を持っている彼は時折主婦や女学生の目を引いた。

だが真木は向けられる視線に反応を返さない。どう返して良いかわからないのだ。
只でさえ普通の職業に就いているわけでもなく、普通人と馴れ合う気もさらさら無い。
但し、皆本を除いては。

少し歩いて、以前皆本を送った寮の近くまで来た。
さすがに彼は授業中だろうか、と寮の裏手にある校舎の方を通る。
どうせそちらへ回った所で彼の姿を見る事ができるわけが無いと知りながらも、少しだけ期待を持ってみた。

「あれ? 真木さん?」

ふいに来た声に真木がドキリとした。
振り向くとブレザーを着た皆本が出入り口から出て来たところだった。

「学校はどうした?」
「今はテスト中だから午前で終わりなんです。サボったわけじゃありませんよ?」

苦笑しながら軽く駆け寄ってきた彼は、肩からずれる鞄をかけ直した。

「真木さんこそ、仕事はどうしたんですか?」
「…少し休憩がてらな」

葉たちとネットを通じた会合を終え、クロの世話に興じていたから嘘は吐いてない。なのに少し胸が痛んだ。
表立って自分の職業を告げられないのが、こんなに辛い事だとは思わなかった。
…葉や紅葉には、表の職業もやらせた方が良いのだろうか…。

真木がしばらく考えを巡らせていると、皆本が不思議そうに見つめてきた。

「あの…真木さん?」

弱々しく吐かれた声に真木がふと気がついて、向けた先では心配した皆本の顔があった。

「お疲れじゃないですか?仕事とか…クロの世話とかで…」

どうやら皆本は仕事で忙しい社会人にクロを預けてしまって後悔している様だった。
あくまでもそれはクロの世話を放棄しているのではないかという心配ではなく、真木に負担をかけてしまったという事に心を痛めていた。
そんな皆本の困った顔を見やると、真木が考え事の為に顰めていた眉を優しく解く。

「心配するな。少し部下の事を思い出してただけだよ」

出てくる前にクロを撫でたその大きな掌で皆本の頭を撫でてやると、くすぐったそうに皆本の心配していた顔が緩んだ。

「なら、良いんですけど…すいません。中々クロの事見に行けて無くて…」

頭に置かれた手に安堵感を覚えている皆本が申し訳なさそうに謝った。
あの日彼が遊びに来てから何度かの日曜日を越していた。
休日が来る度に彼が来るかもしれないといささか胸を逸らしていた真木が笑う。

「今、テスト中なんだろ?勉強で忙しいのが学生の本分だ。気にする事はない」

本心から彼の事を親身になった真木が言った。
あの方を待っているだけの私は特に急ぐ仕事もない。
強いて言うのであれば、戻ってこられた少佐を迎え入れる準備をするだけなのだから。

軽く笑みを浮かべると、真木は置いていた手をスッと引いた。

「じゃあ、勉強頑張れよ?」
「あのっ!今から行っちゃダメですか?!」

さっさと踵を返して去ろうとした真木を皆本が遠慮がちに呼び止めた。

「テスト勉強はしなくていいのか?」

彼に言い聞かせる様にわざと低く言い窘める。
しかし返してきたのは明るい笑顔。

「えっと…ほら!何かに集中してる時って、他の事したくなるって事あるじゃないですか!?」

ダメかなぁ…と付け加えて皆本が眉を下げて笑ったが、再び真木は無言のまま背中を向けて歩を進めた。

「お仕事の邪魔…ですよね?」

か細く呟いた皆本が寂しげに俯くと、二、三歩足を進めていた足を真木がピタリと止めた。

「来るのなら来ればいい。その前に買い物に行くぞ?」

背中を向けたまま横顔で振り向いた真木が皆本へ物腰柔らかに言い放つ。

「全く…私は拾い物が好きな様だな」

皆本に聞こえない程の小さな声で呟いて、後ろから駆けて来る彼を待った。

 

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