黒猫02

 

黒猫は闇を駆け抜ける 02

距離を保ち続けている彼等は視線を合わせたまま動かない。
皆本の腕に抱かれたクロだけが、オロオロと尻尾を揺らしている。

「その猫を返して貰おう」

先に口を開いたのは真木だった。顰めっ面を続けたままに足をゆっくりと前へ進める。

「嫌だ」

そう言って皆本は近付いてくる彼からじっと視線を外さず、足を一歩後ろへ引いた。

「それは私の物だ」

威嚇する低い声を聞いても、真っ直ぐな視線はそのままにクロをギュッと抱き締める。
頑なに結ばれた皆本から、彼が渡す気など持っていない事を悟り、はぁと重く溜息を吐く。
だがゆっくりと近付く足は止めず、皆本の真正面に立つと鋭い目つきで見下ろし、クロへと手を伸ばした。

「この子は物じゃないっ!」

きつく言い放った皆本が伸ばしてきた真木の手に強く拒否を示す。

「皆本」
「気安く呼ばないでくれ」

駄々をこねる子供を窘めるみたく名前を呼べば皆本の顔に動揺が浮ぶ。しかしその顔を隠すように俯いた彼に、低い声で静かに拒否をされ、ズキリとした胸の痛みが真木に走った。
もう何も知らないあの頃のままではないのだと痛感させられるその痛み。

私がエスパーであり、パンドラの幹部である事実を知ってしまった。
やはり普通人である彼はエスパーに対して嫌悪を示すのだろうか。
否。バベルにいるのだからそれは無いだろう。嫌悪を示すのであれば、パンドラにいる、という事実か。
だが皆本以外の普通人を好きにはなれない私の居場所は、少佐の元だ。

「――わかった」

諦めるように手を引けば俯いた顔が上げられた。
その瞳が潤んでいるのに気がついた真木が狼狽えた瞬間、頬に乾いた音が響いた。

「何ですぐに諦めるんだよっ! そんなにクロが邪魔だったのか!?普通人の僕はやっぱり邪魔だったのかっ!?」
「そういう事じゃ…!」
「僕は怒ってるんだっ! アンタが何も言ってくれなかった事にっ! エスパーだった事も、勝手に引っ越してた事もっ! 確かにパンドラの幹部だって普通人の僕には言えないだろうけど、せめて教えてくれたって良かったじゃないかっ!」
「みな…」

勢いよく叫ぶ彼を止めようと手を伸ばし名前を呼ぶが、『気安く呼ぶな』と言われた手前、言葉に詰まった。

「せめて、引っ越した先くらい教えてくれても良かった、じゃないか…」

だが真木が止めるまでもなく皆本の声は尻すぼみに小さくなっていった。共にまた俯いた彼はクロを抱き締める。
途端に訪れた静寂にどうして良いか焦りを隠せず、真木は狼狽えた状態で皆本を見つめる。
伸ばしたのに触れられない手がもどかしく、その場でぐっと固く握りしめるとその視線を地面へ逸らした。

あの頃ならば名前なんて呼ばなくても黙ったまま抱き寄せて優しく包み込んでやれたのに、今はそれが叶わない。
だったらあの時に彼に自分がエスパーだと教えれば良かったのだろうか。
そうすれば彼はバベルに入っていなかったのだろうか。

そうすれば、以前のように笑っていられたのだろうか。

もしなんて世界、無い事位知っている。
ただ彼が”俺”がエスパーだと知っても恐れない事を知れただけで嬉しかった。
彼はやはり自分の思っていた通り、真っ直ぐで純粋で。
そして何よりも一人の人間として自分を見てくれている。

「皆本」
「気安く呼ぶなって…っ!」
「もし、お前に俺がエスパーだと言った所で何か変わったのか? エスパーを恐れ、怖がっている普通人が多い中、どうして俺が言えると思う」

俯いたまま叫んだ皆本には構わず真木は台詞を続けた。その言葉にゆっくりと皆本が顔を上げる。

「お前がエスパーに対して寛容なのはわかった。だがあの時の俺に教えてやれる余裕は無かったんだ」
「え……?」
「お前といる時間は心底楽しかった。それを壊すのは怖かったんだ」

厳しかった筈の顔を緩め、以前の様な優しい笑みを湛えた彼を皆本は呆けた顔で見つめるしかない。
そんな戸惑いを浮かべた皆本に躊躇っていた手を優しく伸ばし、その腕に包まれたクロをそっと真木は抱き上げた。

「クロは連れて帰る。澪が世話をするのを楽しみにしているからな」
「ちょっ!まだ聞きたい事がっ!」
「今日はもう遅い。早く帰れ」

腕の中で名残惜しそうに皆本を見つめるクロを肩に乗せ真木は黒い翼を広げた。

「話がしたければまたここへ来い。まだ鍵も返して貰ってないしな」

バサリと翼を羽ばたかせた彼が曇天の空に浮かべば、皆本はその場で見上げる事しかできなかった。
パンドラの拠点に帰った時とは違い、沈んだ表情は真木の顔には無い。

怒っていた理由が『引っ越した先を教えなかった事』だった事実に笑みを浮かべる。

それは会いたかったのに会えなかった、という気持ちがあるからこそ。
思っていたよりも嫌われていなかったのだと思えば当然だった。

 

上機嫌な笑みを溢していると、叩かれた頬を肩に乗ったクロが優しく舐めた。
お返しにと真木は彼の頭を優しく撫でながら、皆本にいつ会うという約束をするのを忘れていた事に気がついた。
しかし、彼の事だ。
律儀に毎日待っているだろうから、明日の夜にでも行ってやろう。
果たして昔話を楽しくできるわけもないだろうが、それもまた一興。

二度と戻らない優しい温もりよりも、戻ってきた少し痛みを伴う熱の方が断然良い。
彼の笑顔を見られるチャンスがあるのだから。

 

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