黒猫03-シナプス-

 

シナプス回路の慟哭

二人きりの部屋の中で、皆本は黙って真木を待っていた。
昔はクロが居た分、手持ち無沙汰では無かったが、今はどうして良いかわからない。
勝手にすれば良いのだとは思う。思ってはいても、どうしても何をするわけでもなく待つしか無い。
仲の良かったあの頃であれば、気ままにテレビを観たり、ソファに転がったり、その辺りに置いてある雑誌を読んだり、宿題を広げたりと気ままに過ごしていたのに、これ程まで遠慮をしてしまうのは挟んだ時間が長かったのか。
特に包丁を使う音が長く響く事無く、すぐにやってきた匂いにインスタントラーメンを作っているのはわかったが、持って来られた丼鉢は揃いのもので、少し驚き動作を止めてしまった。

「俺一人のつもりだったから、簡単に済まして寝るつもりだったんだ」

聞いてもいないのに言い訳をする真木に、驚いたままの表情を向けた。
箸を取り上げている彼が皆本の視線に気が付き、首を傾げる。

「どうした?嫌いな物は入れてないだろ?」
「そうじゃなくてっ!何でこれをまだ持ってるわけ?」

独り身の真木の部屋に余分な食器も無く、幾度か通う内に知らずと増えていった皆本の食器達。
引っ越しをした時に捨てただろうと思っていた。
なのにこうして目の前にあるという事実は皆本にとって驚く以外ない。
そんな彼の疑問に真木も驚いた顔を見せたが、すぐに苦く笑った。

「食器なんてそうそう捨てないだろ」

誤魔化しているのか話を逸らそうとしているのか、そう言った彼はラーメンをかき混ぜ啜り始めた。

「お前も早く食わないと伸びるぞ?」

何でも無い事の様に言われて、皆本は困惑した表情のまま箸をつけた。

「美味しい」

特に何か調理をしたわけではない。野菜を多めに入れただけのラーメンは皆本にとって久しぶりだった。
一人暮らしの時は何度か口にはしたものの、チルドレンの主任となってからは、育ち盛りの彼女たちを思いインスタント物は避けていたのだから、殊更久しぶりになるのは当然とは言え、素直に皆本の口から漏れた言葉に真木は嬉しそうに微笑んだ。

「大した物で無くて悪い」
「いや…美味しい」
「お前が来るなら一緒に買い物行けば良かったな」

箸を進めながらまるでこの状況が日常であるかの様な態度を取る彼に、皆本は言葉を返さない。
真木も返ってくる事を期待していなかったのか、それ以上言葉を続けずに黙々と口に運んだ。

「ごちそうさまでした」

ラーメンを平らげた皆本は丁寧に箸を置いて手を合わせた。

「…で、アンタに聞きたいんだけど」
「何だ?」
「僕の事を忘れないでいてくれたんだ?」

皆本の唐突な質問に真木は驚く様子も無く、視線を天井に向け少し考えた風を振る舞う。
しかしすぐに皆本と視線を合わせて、「ああ」と頷いた。

「ふいに思い出しては心配もしたし、悩みもしたさ。お前が向こうで寂しくなって泣いてたりしないかな、ってな」
「…アンタ、僕の事どんな奴だと思ってるんだよ…」

軽く茶化す風に言った彼に呆れた皆本ががっくりと肩を落とす。

コメリカに渡った時は未成年で、施設の中で孤立をしていた皆本を知っている。逆を言えば、そんな彼しか知らない。
もし向こうで馴染めなければ頼れる人間が居るのか。
また、帰国した時に慕っていた自分を訪ねてくるだろう事は予測できているのに、何も知らせずに引っ越した事に対して悲しまないだろうか。

ふと一人になった時間に考えていたのは、彼の事が多かった。
しかし聡明で人懐こい性格はそのままで、予想以上に成長を遂げた目の前の男に彼に、嬉しく思う。
但し敵対する組織の一員だという事だけが、ネックになっているだけだった。

まだ項垂れたままになっている皆本の頭を優しく撫でた。

「しっかりしてるくせに案外寂しがり屋だと思っているが?」
「やっぱり子供扱いするんだ?」
「もう少し、成長した光一を知ればお前のイメージを覆せるかもしれないな」

唇を尖らせて言った皆本に対して真木は優しい口調で言った。
それさえもまた子供扱いされているような感じが抜けきれず、皆本は眉を顰めた。

「だったらもう少し知って貰おうかな」

頭に乗せられた手を外し、皆本がしっかりと真木を見た。

「バベルとかパンドラとか考えずに、一人の人間として付き合いたい」
「ほぉ…それはどういう付き合いだ?」

にやりと笑った真木に、彼の告白を思い出した皆本の顔が一瞬で赤くなった。

「べっ…別に恋人同士とか、まだそんな話じゃなくてっ!僕がコメリカに行っていた間の分、司郎さんだって変わっただろ?僕だって知りたいんだよっ」

焦り、矢継ぎ早に叫んだ皆本に、彼の頬が緩む。

「まだ、か。だったら恋人前提でデートでもするか?」
「揚げ足取りしないでくれないか?大体、昔の司郎さんはそんなに意地悪じゃなかったしね」
「そうか?俺は変わってないぞ?」
「ほら、それも!一人称だって、ずっと”私”だったし!」
「そうだったか?」

皆本が人差し指を突き出し指摘してきて、昔を振り返る。
仕事の時や相手に対して壁を作っている時だけ”私”を使っていたが、無意識に皆本にも使っていたのは、気を緩めてはいけないという警戒心を抱いていたからだろう。
エスパーである事を知ったら、パンドラの幹部である事を知ったら、彼が離れてしまうかもしれないという老婆心がそうさせていた。
しかし今は自分がエスパーであり、パンドラの幹部である事も知っているのだ。
その上でまだ知りたいと言ってくれる彼が目の前に居る。

それだけでも幸せな事で、これ以上を求めるのは間違っているのだろうが、欲は出る物だ。

「お前がそう言うのならそうなんだろうな。もしかするともっと変わった部分があるかもしれん」
「当たり前だよ。人間なんてずっと同じままでいられないんだからさ」

納得した様に頷いた真木に皆本はふくれっ面のままで付け足した。
その顔は留学前と相変わらずの表情で、真木が笑いそうになった口元を誤魔化す様に覆う。
しかし目敏く皆本がその動作に睨みをきかせた。

「なんだよ?」
「いや…変わらない部分もあるな、と」
「たかだか数年で本質まで変わらないって。別人じゃあるまいし」
「だったら俺の本質も変わっていないと思わないか?」
「隠し事をしていた人間の本質なんて知りません」
「それもそうか」

誘導尋問の様なやり取りでぴしゃりと言い切られ、少し真木の表情が曇った。
もしかすると何処かで昔のままで居られる事を望んでいたが、それさえも断たれた気分になる。

「でも、だからこそ知りたいんだ。アンタの本質が司郎さんのままなのかさ」

言った皆本の言葉に目を見開いた。

「上辺だけ繕っていたんじゃないって、信じさせてくれないか?」

眉こそ顰められていたが、皆本は微笑んだ。
信じたい気持ちは伝わってくる。しかし懇願する風では無い彼の表情に真木もまた微笑んだ。

「信じるも何も、俺は嘘は吐いていないからな」
「それはどうかな?隠し事は沢山してたし、それに付随して色々と嘘を吐いたりしてるかも」
「そんな事は無いぞ?」
「仕事の事とか」
「それはお前が勝手に想像したんだろ?俺は自宅で出来る仕事、と言っただけだ」
「……う…。そう言われればそうかも…」

当時の記憶なんて自分がどう思ったかで、言動の詳細などあやふやになりがちだ。
言われた皆本が、何か会社の役員であったりクリエイティブな職だったりで、出勤しなくても良い仕事を勝手に想像しただけなのだから、真木が嘘を吐いたわけではない。
もしかするとそんなすれ違いが他に無いとは言い切れず、それもまた話の種にはなるだろう予感を抱く。

しかしそれ以上話し込むには時間が遅い。

「もう帰らないと。今は彼女たちが待っているから」
「子持ちの主夫みたいだな」
「うるさいなぁ。仕方無いでしょ?」
「まぁ、頑張れ?な?」

言動をからかえば、皆本がすぐに拗ねた表情を見せた。
そんな彼を励ます様にぐりぐりと髪を乱暴にかき回せば、また睨まれる。
しかし真木はそんな視線に臆することなく傘を手渡した。

「じゃあまた」
「ああ。またな」

玄関先で見送る言葉を交わしながら、ふと真木が思い出した様に「待て」と呼び止めた。
皆本を残して部屋に引き返した彼がメモを手に戻って来た。

「合い鍵は作らないが、暇が出来たらここに連絡しろ」

書かれていたのはケータイ番号とメールアドレス。
流石に互いの立場上、留守中に勝手に入られては困る物もある。

「良いのか?パンドラの幹部なのに」

だからと言ってバベルの中でも最重要人物の部類に入る皆本に、簡単に個人情報を渡してしまって良いのか疑問に思った。
なのに真木は微笑むばかりだ。

「俺のプライベートだ。関係ない」
「じゃあ、受け取るよ」

日付が変わる頃、真木のケータイが鳴った。
メール着信の相手は皆本だった。
自分のケータイ番号とメールアドレスだけで無く、律儀に今日の礼も添えられていた本文にくすりと笑う。

『早く寝ろよ』

そんな短い文面だけ返して真木はケータイを閉じた。

 

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